成都火鍋に完敗

成都火鍋の辛さに、肉四枚目で完全に負けた。

成都に来たら、何より大事なのは火鍋を食べること。そして、その火鍋にさっそく分からされた。これまで食べてきた辛い鍋とは、そもそも次元が違う。正しい食べ方は、写真のごま油につけだれを使い、辛い鍋から取った具を一度くぐらせることらしい。すると唐辛子の油がかなり落ちて、そこまで辛くなくなる。

ところが、その仕組みをまったく知らなかった。当時は、このごま油がどうにも不思議に見えた。肉を油にくぐらせたら、余計に脂っこくなるんじゃないか? そう思って、そのまま食べ続けた。四枚目の肉を口に入れたところで、はっきり限界が来た。もう飲み込めず、吐き出すしかない。辛すぎる!

そこで、ようやくごま油を使ってみた。はい、完全に参りました。

何が入っているのかはよく分からないが、くぐらせた肉はまったく油っこくない。それどころか、辛さまでちゃんと耐えられる範囲になった。すごすぎる。

その後は寛窄巷子へ。ここに来たら、まったく関係のない有名なあの句にも触れないわけにはいかない。遠くから壁のことで手紙を送り、三尺譲って何が悪い、万里の長城は今もあるが秦の始皇帝はもういない――という、あの話である。

本来の故事が何だったかは気にしなくていい。どうせガイドなら、寛窄巷子との関係を何とか作ってくれる。

通りにはいろいろな食べ物が並んでいた。レストランでは、アイスプラントも初めて食べた。水滴のように見える粒は、実は表面にある特殊な袋状の細胞で、水分や塩分をためられる。茎や葉に小さな水袋がびっしり付いているように見えるのだ。

一つ勉強になった。たぶん四川名物ではないけれど、少なくとも自分はここで初めて見た。

食べ物以外にも、成都ではやたらよく見かけるものがいくつかあった。まずは路上麻雀。本当に、ものすごく大勢の人が麻雀を打っている! 僕には成都の空気がかなりのんびりしていて、時間の流れもゆっくりに感じられた。歩いていると、通りで麻雀を囲む大勢の人を何度も見かける。その光景は説明しづらく、実際に見たことがなければなかなか想像できないと思う。

そしてパンダ。パンダグッズ、とりわけぬいぐるみを売る店は数え切れないほどあった。

二日目は都江堰へ向かった。

都江堰が最初に築かれたのは戦国時代で、工事を指揮したのは李冰だった。すごいのは、岷江を単純にダムでせき止めたわけではないことだ。魚嘴、飛沙堰、宝瓶口などを組み合わせた一連の仕組みで川の水を分け、土砂を排出し、水を成都平原へ導いた。二千年以上たった今もこの水利システムは機能していて、成都平原が「天府の国」と呼ばれる豊かな土地になるうえでも大きな役割を果たした。

ガイドは水の分け方、土砂の流し方、洪水を逃がす仕組みを実に生き生きと説明してくれた。でも、僕にその仕組みが見抜けるはずもない。現地でしばらく眺めた末に出た結論はこれだった。昔の技術者、すごすぎる。僕はほぼ何も分かっていない。

あとはあちこち歩いて、記念写真を撮った。

三日目は杜甫草堂へ。杜甫が成都で暮らした住居跡のある場所だ。安史の乱のあと、各地を転々とした杜甫は成都にたどり着き、ここで数年間暮らした。その間に、後世の国語教科書に載ることになる詩も数多く書いている。

そして、本当に油を節約する灯りを発見……。

草堂の中はかなり静かで、竹林や小道、古い木々、伝統建築があちこちに点在していた。今見られる建物の多くは後世に再建・拡張されたものだけれど、杜甫をしのぶ場所としての雰囲気はしっかりある。曲がりくねった小道の先に、木々と花に囲まれた静かな建物が現れる――あの詩句がよく似合う空気だった。

続いて武侯祠へ。成都の武侯祠は主に諸葛亮を顕彰する場所で、劉備をはじめ蜀漢の人々も祀られている。

国語の教科書で覚えた詩句が、目の前に現れた。中でも「三顧頻煩天下計、両朝開済老臣心」という、三度の訪問に応えて天下の計を練り、二代にわたって老臣として尽くした諸葛亮を詠んだ句。以前は教科書の中で暗記しただけだったのに、今回はその人物を祀る場所で目にすることができた。

これで成都の自由行動は終了。次は飛行機で九寨溝景勝区へ向かう予定だ。

黄龍、水はどこへ?

理想の景色を写した案内写真に、最後の一撃を食らった。

飛行機が着陸してから、山道を左右に揺られ続けること2時間。ようやく黄龍風景区に到着した。

来るタイミングがあまりよくなかった。当時の黄龍はまだ水量が少なかった。みんな山と水を見に来る場所なのに、目の前の彩池にはその水がほとんどない。黄龍といえば、何層にも連なる石灰華の彩池が有名だ。水が十分にあれば、段々になった彩池や浅瀬を流れて、とてもきれいな景色になる。ところが僕らが訪れた時期は、道中にある彩池の多くがほぼ乾いていた。この日に見られた水は、だいたいこれくらいだった。

そして、ここでまさかの理想状態との比較画像である。もちろん正式な比較写真ではないのだが、現地の景色と並べて見ると、もうそうとしか思えない。水が少ない日に来た人ががっかりするかもしれないと、景区側も分かっているのではないか。そんな気がするほど、水が十分にあるときのきれいな写真が現地に飾られていた。

差はほんの少しだけ……いや、かなり大きい。現実にない水は、写真を見ながら脳内で補うしかなかった。

そして普通にがっかりしたまま帰った。どんでん返しも、その後の展開もない。

絵のような九寨溝

澄んだ湖と森、滝、そして春の雪が描く九寨溝の風景。

九寨溝は、中国四川省北部のアバ・チベット族チャン族自治州九寨溝県にある、高山湖と滝の群れで知られる世界自然遺産だ。

前置きはここまで。

これほどきれいな景色なら、説明なんてなくても十分伝わる。昨日の黄龍で残った心残りも、ここですっかり埋め合わせてくれた。

水があまりに澄んでいて、森と山とその反射が一枚の景色に溶け込んでいた。

風のない湖面には、岸の山々がもう一つの世界みたいにくっきり映っていた。

森の間を流れていた水は、やがて岩肌いっぱいに広がる滝になった。

次の景色へ向かう遊歩道まで、山の中へ続く一本の線みたいできれいだった。

山の上にはまだ雪。足元ではもう春が始まっていて、二つの季節が同じ谷に並んでいた。

というわけで、急に詩人っぽくなる時間はここまで。最後はまた写真に任せよう。

尋秦記

兵馬俑と『長恨歌』、そして二千年以上前の秦代の銅剣を巡る西安の旅。

西安に着いて、まずは兵馬俑を見るために秦始皇帝陵博物院へ向かった。秦始皇兵馬俑の規模はとにかく巨大で、数千体もの兵士俑と陶馬が広大な地下軍団を形作っている。服装や髪形、表情にも一体ずつかなり違いがある。二千年以上も前にこれほど大きな地下軍団を自分のために用意するとは、秦始皇はなかなか考えることがすごい。

たしか、高校で競技系の勉強をしていた頃にも来たことがある気がする。でもあまりに昔の記憶で、今となってはぼんやりした印象すら残っていない。

ところで、この高級軍吏俑……本当に古天楽(ルイス・クー)じゃないよね? 『尋秦記』で項少龍として秦の時代まで行った人だけに、妙に説得力がある。

驪山から眺める景色もよかった。

近くでは孔雀にも餌をあげた。写真の出来がやたらいい。

その夜は、華清宮の大型野外歴史舞踊劇『長恨歌』を見た。唐の玄宗と楊貴妃の物語を軸に、華清宮と驪山そのものを舞台背景として使い、照明や踊り、大がかりな舞台演出を組み合わせた作品だ。

これはたしかに「大型」と名乗っていいスケールだった。

二日目は陝西歴史博物館へ。ここには陝西各地から出土した歴代の文物が数多く収蔵されており、秦代のものも含まれている。写真の銅剣は秦始皇兵馬俑一号坑から出土したもので、その近くには有名な杜虎符も展示されていた。

二千年以上前の剣が、今もこうして目の前に残っている。細長い刀身は、見た目にもすっきりとしていて格好いい。

ほかには、特に強く印象に残っているものはなかった。

これで旅は終了。アメリカに戻って、チームを率いて決勝へ行く時間だ。