ICPC世界大会 2018
北京, 中国
コーチとして2度目の世界大会。
場所 · city · 北京市
1件の記事 · 国: 中国
北京, 中国
コーチとして2度目の世界大会。
コーチとして2度目の世界大会。
今年の世界大会の開催地には、去年以上にがっかりした。僕がコーチをやった二年間、開催地が一回はアメリカ、もう一回は中国ってどういうこと? 旅行先としてなら、僕はラピッドシティより北京のほうが圧倒的にいいと思う。でも北京にはもう何度来たか分からない。北京で学校に通ったことすらないのに、地下鉄2号線は少なくとも十周くらい乗った気がする。
世界のほかの場所へ行きたいんだけど!
まあいい。大学のおごりで、無料で中国へ帰れたと思うことにした。
今年のチームもアメリカ人三人だった。ここでは便宜上、アメリカ1号、2号、3号と呼ぶことにする。今回は予選突破までかなり順調で、アメリカ1号がほぼ一人で大暴れしてチームを引っ張った。詳しくは地区予選総集編を参照してほしい。
アメリカ2号は、前年からずっと僕のアルゴリズムの授業へ来ていた。かなり努力家で、僕が知っていることは全部教えた。僕の知識自体はそれほど多くないが、アルゴリズムの守備範囲だけで言えば、世界大会の銀メダル圏あたりで出る問題にも十分対応できる広さはあった。どれだけ身についたかは、あとは本人次第である。
アメリカ3号は、うーん、この三人の組み合わせでは役割がかなり小さかった。実装速度ではアメリカ1号にまったく勝てないので、キーボードを担当する出番はまずない。アルゴリズムの知識範囲ではアメリカ2号に負ける。その結果、このチームでは彼ならではの出番があまり残っていなかった。
運営が用意したホテルはものすごく豪華だった。僕たちの部屋は35階。記憶が正しければ、宿泊客が行ける最上階で、景色もかなりよかった。
運営は万里の長城への観光ツアーを用意していた。僕は即不参加。なぜでしょう。
そのあと大学のメンバーだけで小さなグループを作り、故宮へ行くことになった。僕はそれにもついて行かなかった。
正直、今回は一緒に行くべきだったと思う。でもその日は予定があったので、彼らだけで行かせた。「北京歓迎你」の時代から北京に蓄積されてきた英語力を信じることにしたのだ。出発前、副コーチに「お金ある?」と聞いたら、「ない」と言う。「WeChatは?」「あるけど、決済が使えるかまだよく分からない」「それでよく外へ出ようと思ったな?」
そこで手持ちの現金を全部、500元ちょっと渡した。まあ、一日遊ぶには足りるだろう。少なくとも入場料くらいは払えるはずだ。あとは好きに何とかしてくれ。
そういう遠出とは別に、僕は彼らを北京大学周辺の食べ歩きエリアにも連れて行った。ここで、英語が母語ではない僕の限界がはっきり出た。副コーチがミルクティーを飲みたいと言う。店は全部中国語で、追加できるトッピングは山ほどある。こんなの英語で何と言えばいいんだ! 結局、僕が言えたのは、「甘いよ。適当に選んで」だけだった。
競技当日も、僕は相変わらずかなり気楽だった。
とはいえ、去年よりは少し緊張していた。去年は完全に遊びに来たようなものだったが、今年はこのチームの成績に少し期待していたからだ。特に、アメリカ1号の実装速度は驚異的で、アメリカ2号のアルゴリズム力もしっかりしていた。
結果も期待どおりだった。4問を解き、公式順位では56位タイ。4問のチームは40以上もあったが、その大集団の中ではかなり前のほうだった。もし4問の全チームを通常のICPCのペナルティ順でさらに並べれば、総合60位くらいだったはずだ。僕が選手として初めて出た世界大会よりもいい成績だった。
残念ながら、北京大学は優勝できなかった。ホスト校のチームだけあって明らかに強く、全力を尽くしていたと思う。
そして北京を離れる時、最後に面白いことがあった。地下鉄の駅でスーツケースを引きながら人を待っていると、英会話スクールの営業らしい人が近づいてきて、「英語を勉強しませんか?」と聞いてきた。当時の僕は本当に若く、見た目も完全に学生だった。というか、実際まだ学生だった。
「英語は習いません。でも、先生は募集していますか?」
すると彼は、「うちは講師の採用基準がものすごく厳しくて」と長い説明を始めた。僕はあまり聞いていなかった。
最後に、なぜか彼は僕に「どこに住んでいるんですか?」と聞いた。単なる礼儀だったのか、営業として最後にもう一度粘りたかったのかは分からない。
「サンフランシスコです」
彼は黙った。三秒ほど固まってから、「からかってるんですか……」と言い、そのまま去っていった。
最初にわざわざ声をかけてきたの、そっちだからね!