メキシコシティで中関村を見つけた日
メキシコシティ, メキシコ
この冬休みは中国に帰らなかったのに、なぜか帰国した気分になった。
国 · メキシコ
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メキシコシティ, メキシコ
この冬休みは中国に帰らなかったのに、なぜか帰国した気分になった。
カンクン, メキシコ
「マヤ暦世界滅亡」の日にチチェン・イッツァへ。
「マヤ暦世界滅亡」の日にチチェン・イッツァへ。
メキシコで最初に訪れたのは、カンクンという街だった。当時の僕たちの印象では、街は大きく二つに分かれていた。普通の市街地と、海沿いにホテルが並ぶエリアだ。市街地は、中国の小さな地方都市のように見えて、大都市らしさはまるでない。僕たちにはかなり古びていて、汚れているように感じられた。一方、海沿いのホテル街はとても華やかだった。カンクンはリゾート地で、観光客の多くは海辺のホテルゾーンへ向かう。だから栄えているのも当然なのだが、あまりにも市街地と違いすぎて、「海沿いだけアメリカ領なんじゃないか?」と本気半分、冗談半分で疑っていた。
到着初日、SIMカードを作るために市街地へ向かった。古びているどころではない。僕たちの目には、ものすごくボロボロに見えた。現金も必要だったので、紙の地図もないまま携帯の地図を頼りに銀行を探した。だが、どう見てもナビがおかしい。「この辺、何回壊して建て直したんだよ」と当時は勝手に文句を言っていた。そうして妙な路地に迷い込み、周りには雑多なものが散らかり、犬がずっとワンワン吠えている。とにかくうるさい。
そこで仲間の一人が、「何だよこの場所。次に『Civilization』をやる時は、絶対メキシコから滅ぼそう」と言い出した。かくして、こんなひどい即興詩が生まれた。
カンクン初日、街中へ。 迷い込んだは荒れた路地。 道端の犬は吠えやまず、 次の『Civilization』ではメキシコから滅ぼそう。
その後の数日間はレンタカーでいくつもの古代遺跡を巡り、ゲームでメキシコを最優先で滅ぼす理由をさらに増やしていった。
当時の僕たちは、アメリカの運転免許証でメキシコのレンタカーを借りることができた。4人のうち免許を持っていたのは2人だけなので、運転できるのもその2人のはずだった。だが、もう一人は免許を取ってから一度も運転していない。免許は持っているけれど、実質ただの紙である。結局、全区間を僕が運転した。毎日往復200キロ以上。車より先に運転手のほうが消耗していった。
チチェン・イッツァへ行く前日には、ビーチで地元のメキシコ人たちとサッカーをした。そこで足の指を痛め、歩く時はずっと足を引きずることになった。ただ、後になって気づいた。車の運転には、足の指はほとんど必要ない。
さらに、重大な盲点にも気づいた。足を引きずっている僕が転び、もう一人の免許持ちにぶつかり、そいつが転んで足首をひねり、その拍子に僕までまた転ばされたらどうなるのか。運転できる二人が同時に「運転能力を喪失」してしまう。そうなったら、みんなどうやって帰るのだろう……。
そんなわけで、マヤ遺跡の中を歩く時はかなり慎重だった。これ以上、誰かの「運転能力」を奪う事件が起きないよう、妙に気を使っていた。
世界滅亡予定日の当日、チチェン・イッツァへ行った。そう、2012年に広まった「マヤ暦世界滅亡説」と、世間から強引に結びつけられていた有名なマヤ遺跡である。
そこへ向かう途中にも、かなりとんでもないことをやらかした。高架橋のそばの標識に左折とあったので、左へ曲がるランプが見えたところで、そのまま入ってしまった。入ってから、曲がるのが早すぎたと気づいた。というか、ランプを逆走していた。
幸いだったのは、ランプ全体に僕たち以外の車が一台もいなかったこと。問題は、もうそこに入ってしまっていたことだ。
道幅が狭くてUターンもできない。仕方なくギアをバックに入れ、そのままずっと後退して戻った。ほかの車には一台も出くわさず、ランプを逆走した挙げ句、バックで引き返すという、何ともひどい偉業を成し遂げてしまった。
今振り返ると、あの頃、無事に帰ってこられたのは、多少なりとも運がよかったからだと思う。
そして、その特別な日に遺跡で何をしていたかというと、カードゲームだった。一人だけは財布を破壊する一眼レフを抱えて歩き回り、残る3人は集まって斗地主(ドウディージュー)を丸々1時間。少しだけ落ち着かなかった。世界全部が本当に滅びるとは思っていない。でも、ここだけ滅びる可能性ならあるかもしれない。万が一、この噂が偶然、この場所の運命だけを正確に言い当てていたらどうしよう。
しばらくすると、観光客の一団が突然手をつなぎ、巨大なピラミッドを囲んで回り始めた。そこでようやくカードを置き、何をしているのかよく分からない人たちを観察することにした。どうやらピラミッドの周りで祈り、何かを唱えているらしい。実際に何を言っていたのかは分からない。だが、僕の脳内字幕ではこうなっていた。「パーティー全滅でお願いします」
チチェン・イッツァからホテルへ車で戻る途中、この旅最大のトラブルが起きた。4人もいるのに、使えるSIMカードはたった1枚。数日前に市街地へ行った時に買ったものだ。その携帯をナビ代わりにしていたのだが、持ち主は道案内をしながら同じ携帯で音楽も流していた。そうしているうちに、電池が切れた。
ホテルまではまだ何十キロもある。周りには町も店もないような場所で、さすがに焦った。帰り道を覚えている人は誰もいない。これ、どうやって帰るんだ?
そこで、とりあえず海沿いのホテルゾーン(Zona Hotelera)を目指そう、という結論になった。あれだけ大きなエリアなら、あちこちの道路標識に出ている。スペイン語ではあるけれど、この二つの単語は英語と見た目がほとんど同じなので、僕たちにも分かった。まずはホテルゾーンにたどり着くことだけを考える。海まで出たら、海沿いの一本道を走ってホテルを一軒ずつ探せばいい。道は一本しかないのだから。
結果、この作戦はうまくいった。途中で何度か道を間違えたものの、目指すエリアが大きいおかげで、どこへ行っても大抵またホテルゾーンへの標識が見つかる。そうしてようやくあの通りに戻り、ホテルを見つけることができた。
いや、本当にひどい目に遭った!
カンクンにいた数日間には、島にも遊びに行った。フェリーに車を載せて渡ることもできたが、さすがに高すぎる。そこで車は置いて船に乗り、島に着いてから小さな車を借りることにした。見た目は電動カートのような乗り物だった。
ただ、そこは本題ではない。借りるには免許証が必要だったので、当然、運転にも免許が要るものだと思っていた。ところがその車、どう考えても走る人と大して変わらないほど遅く、運転技術などほとんど必要なさそうだった。そこで、免許を持っていない一人が「ちょっと運転してみたい」と言い出し、試しに任せてみた。
すると正面から警察車両がやってきた。運転していた本人は一瞬でパニックになり、「どうする、どうする?」と大騒ぎ。こちらは「普通に走っていればいい。止められたらそのとき考えよう」と答えた。そのまま普通に走り続けると、警察は僕たちをまったく気にせず、何事もなくすれ違っていった。
運がよかったと思った直後、近くを走る別の車が目に入った。父親が五、六歳くらいに見える子どもを抱き、その子にハンドルを握らせていた。子どもの上半身はハンドルと大して変わらないくらい小さいのに、そのままハンドルを回している。
もう何も言えなかった。これを警察が気にしないなら、僕たちなんてまず大丈夫だろう。
カンクン滞在中には、人生で初めてスペイン語吹き替えの映画も見た。作品は『ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日』。音声はスペイン語、字幕は英語。これがもう、頭が混乱するには十分すぎる組み合わせだった。もともと抽象的な映画なのに、こちらの鑑賞体験はさらに抽象的。最後には『ライフ・オブ・パイ』というより、『何が何だか分からない少年の謎漂流』になっていた。
カンクンのリゾートで数日間快適に過ごした後、バスでメキシコシティへ向かうことになった。
この冬休みは中国に帰らなかったのに、なぜか帰国した気分になった。
この冬、メキシコシティへ行った。そこにたどり着くまでが、とにかく大変だった。
カンクンから長距離バスを乗り継ぎ、メキシコシティを目指した。カンクンでは仲間の一人が切符を買いに行き、あまり流暢ではない英語同士でどうにか話をつけ、無事に切符を手に入れてきた。
そして、その後はほとんど英語を聞かなくなった。有名観光地のカンクンを離れると、この旅で出会った人の中には、英語でやり取りできる人がほぼいなかった。
最初の長距離バスは、カンクンからメキシコ南東部にある、名前がOから始まるどこかの街へ向かった。どの街だったのかは、もう完全に覚えていない。あまりにも昔のことだし、そもそも旅程を組んだのも僕ではなかった。ただ、同行者がLonely Planetで見つけた定番ルートだった、ということだけは覚えている。
それよりはっきり覚えているのは、このバスがとんでもなく「香り豊か」だったことだ。
乗車時間は約20時間。切符を買った時には後ろ数列しか残っておらず、そのままそこを取った。だが、この時点ではまだ問題の深刻さに気づいていなかった。乗ってみると、車内後方にトイレがある。長距離バスにトイレがあること自体は珍しくない。問題は、その扉がきちんと閉まらないことだった。使用中なら手で押さえればまだ何とかなる。だが、誰も使っていない時にも閉まらない。おかげで最後尾から5列ほどは、強烈な糞尿のにおいにずっと包まれていた。
夕方5時に出発し、翌日の午後まで20時間。あのトイレは衛生状態が怖すぎて使う気になれなかった。かといって途中で降りてトイレへ行くのも怖い。戻る前にバスが出たら、そこで一人置き去りである。若さってすごい。あれだけ長い時間トイレに行かなくても、意外と何とかなった。
降りる頃には、全身があのにおいにすっかり漬け込まれた気分だった。小さなホテル、というか民宿のような宿に着き、服を脱いで恐る恐る嗅いでみる。本当にしっかり染み込んでいた。僕はシャワーを浴び、服はそのまま捨てた。
宿の主人は英語がまったく話せず、中国語なんて当然通じない。最初から最後まで、身ぶり手ぶりと推測でどうにかした。食事のメニューももちろん読めない。そこで使った作戦は、知っているスペイン語らしきものを探すこと。といっても分かるのは「鶏肉」と「牛肉」の二つだけだった。メニューからそれらしいものを探し、あとは適当に注文した。
その後、街を歩いてみた。僕の目には高原にある小さな田舎町のように見え、中国の小さな地方都市とそれほど変わらない感じがした。
さらにバスで移動した。前回の教訓を生かし、今度は迷わず前方の席を選んだ。だが、さすがに前すぎた。最前列で、ほとんど運転手と肩を並べるような位置だった。トイレのにおいは完全になくなったが、今度は前方のライトがまぶしすぎて目がやられそうになる。夜に出発して朝に着く便だったが、その夜の記憶は、とにかく車の前が明るかったことしかない。結局、またほとんど眠れなかった。若者の体力は本当にすごい。
今度着いたのは、名前がOから始まる別の街だった。前の街よりずっと大きかったが、僕たちには特に面白くもなかった。二日滞在して、また出発した。
そして、また長距離バスに乗った。最後の区間は、幸いそれほど長くなかった。何日も移動を続け、合計何時間バスに乗ったのかも分からなくなった頃、ようやくメキシコシティに到着した。
バスを降りた瞬間、タクシー運転手から強烈な注意を受けた。「北は麻薬の売人だらけだから、絶対に行くな」と言う。そこで到着後はおとなしく中心部に潜み、北へ行きすぎないようにしていた。後になって考えると、彼の言う「北」はメキシコシティ北部ではなく、アメリカ国境に近いメキシコ北部全体を指していたのかもしれない。たぶん、あの辺りでは麻薬をめぐる問題が深刻だ、と言いたかったのだろう。ただ、実際に僕たちが訪れたメキシコシティの場所は、どこも特に問題なさそうに感じた。
まず向かったのは、いわゆる「ラテンアメリカ最大の教会」だった。確かに大きかったが、教会そのものにはあまり興味がない。一方、一眼レフを持っていた仲間は何かに取りつかれたように、ひたすら写真を撮りまくっていた。
そしてメキシコシティを歩いてみた。ここ……北京じゃないよね……?
僕の目には、メキシコシティ中心部のビジネス街が北京とほとんど同じに見えた。当時の同行者の話では、アメリカの都市では高層ビルがこんなふうに点在することはあまりなく、いくつかのエリアにまとまって建っていることが多いらしい。この間隔、この高さ、この雰囲気。どう見ても北京だった。建物の看板がスペイン語でなければ、ふと見上げた瞬間、自分は中関村にいるのではないかと思ったはずだ。
最後の問題は、どうやってアメリカへ帰るかだった。全員、メキシコの長距離バスにはすっかり懲りていた。遅い、走り方はふらふら、そして臭い。カンクンまで戻るバスは24時間以上かかる。もう無理。乗りたい人が乗ればいい。僕は絶対に乗らない。往復の航空券はカンクン発着で取っていたので、帰国便にはどうしてもカンクンから乗る必要がある。そこで、メキシコシティからカンクンまでの航空券を買った。
今思うと少し驚きなのだが、この旅では宿の予約から航空券の購入まで、すべて同行者が携帯電話で済ませていた。旅行中に携帯だけでホテルや飛行機を予約することが、今ほど簡単でも当たり前でもなかった2012年に、ずっとそれで切り抜けたのはなかなかすごい。そして最後には、まさかの無事アメリカ帰還を果たした。
メキシコでは、カンクン以外の宿はどこもネット環境がひどかった。予約担当の携帯だけは、よほど電波が良かったらしい。