ドレーク海峡を越えて:南極上陸と極地探検

過酷なドレーク海峡を越え、南極で上陸、ペンギンやクジラとの遭遇、雪山登山、カヤック、ポーラープランジ、そして吹雪まで体験した。

乗船したものの、船はすぐには港を出なかった。風と波が強すぎて、ドレーク海峡を通れないという。当時僕が聞いた説明では、通常の航行時でも波は平均5メートルほど。10メートル未満なら検討の余地はあるが、10メートルを超えるとほぼ無理らしい。その夜はまさにそんな状況だった。本来ならそのまま出発する予定が、翌日の昼間まで延期になった。

そのため、その夜は乗客も船を降り、ウシュアイアの町で遊んでよいことになった。ただし深夜までには戻らなければならない。僕たちは降りなかった。ウシュアイアでほかに何をすればいいのか、本当に思いつかなかったからだ。かなりの人が町のバーへ飲みに行ったらしい。

翌朝になっても、まだ通航できなかった。かなり痛いが、どうしようもない。南極旅行がいきなり一日減ったような気がして、ちょっと損した気分だった。

その日の午後、ようやく船長から出発できるという連絡が入った。午後5時、汽笛が長く鳴り響き、船は港を離れてドレーク海峡へ向かった。

夜7時には、船内でシャワーまで浴びた。まだウシュアイア南側の水道を完全には抜けておらず、波も小さかった。当時の僕は、このあと何が起きるかまったく分かっていない。そのまま寝た。

夜中、部屋の中からガランゴロンと、何か金属が床を転がるような音が聞こえた。見ると、配られていた金属製の水筒が、柵の付いた棚から落ちて床を転がり回っていた。幸い、ベッドから降りなくても手が届いたので、拾ってバッグに押し込んだ。船がかなり揺れ始めていることに気づき、僕たちは酔い止めを飲んで、また眠った。

翌朝、起き上がろうとしたところで完全に限界が来た。その日の波は6メートルほどだったと聞いた。ドレーク海峡ではほぼ平均的なレベルらしい。でも僕たちには、すでに大きすぎた。

ベッドで起き上がっては倒れ、また起き上がっては倒れた。何度か繰り返した末、起床は正式に失敗。体を起こした瞬間にめまいが始まり、数秒耐えるとすぐ吐き気が来る。もう横になるしかない。持参した酔い止めはまったく効かず、ひどく酔ったまま。さらに酔い止めのパッチも用意していたので併用したが、それも何の役にも立たなかった。

もしかして薬が弱すぎるのでは、と疑い始めた僕たちは、一人の決死隊をこの階の受付まで送り、酔い止めをもらうことにした。その役は僕になった。十数秒歩き、5秒立って薬を受け取り、また十数秒かけて戻った。部屋に着いて最初にしたことは、トイレへ直行して吐くことだった。この旅で吐いたのはこれが初めて。でも最後ではなかった。

吐いたあとは少し楽になったが、やはり横になっていなければならない。起きたら即終了。船でもらった酔い止めを飲んでも、やっぱり効かなかった。僕たちは船酔い耐性が低すぎて、もう薬でも救えないらしい。当時の感覚では、横になってさえいればほぼ問題なかった。船が激しく揺れていることは分かるし、さっき自分がなぜ吐いたかも簡単に想像できる。でも起きなければ大丈夫。ところが座った瞬間、すぐに来る。耐えられても一分ほどで、もう吐かなければならない。立っていたら、せいぜい30秒だった。

そのままずっと部屋で、何もできず、ひたすら横になっているしかなかった。朝食を逃し、昼食も逃した。すると新しい問題が出てきた。寝ていれば船酔いはしないが、今度は低血糖になりそうな感じがする。仕方がないので、助けを呼ぶことにした。

電話の横の椅子に座り、船医へ電話した。先生が「こちらまで来られますか?」と聞くので、「一ミリも無理です。そちらから来てください」と答えた。すぐ行きます、と言ってくれた。座っていられる貴重な一分を使い、どうにか電話を終え、そのまままたトイレで吐いた。

戻って横になっていると、数分後に先生が来た。僕たちの状態を見て、「たぶんもう普通の方法ではどうにもならない。眠ってしまう酔い止めを一人一本注射して、ドレーク海峡を寝て越えるしかない」と言った。今回は船酔いした人が多く、その薬ももうすぐなくなるらしい。それでも僕たちは運がよく、少なくとも二本は残っていた。

二人とも一本ずつ注射され、そのまま眠りに落ちた。

翌日目を覚ますと、船はほぼドレーク海峡を抜け、正式に南極海域へ入っていた。いちばん分かりやすい変化は、波が小さくなっていたことだ!

これならもう動ける、と僕たちは起き上がった。正直、波が小さくなったとはいえ、まだ揺れている。船酔いは大幅に軽くなったが、症状は残っていた。

朝食を食べに行った。あまりにも長く何も食べていなかったからだ。一昨日の夜から今まで、昨日ベッドに寝たままクラッカーを二枚食べただけで、そのかなりの部分も吐いてしまった。ここで食べなければ、本当に餓死しそうだった。

レストランへ向かう途中、船内のあちこちにロープが張られていることに気づいた。最初は何に使うのか分からなかったが、レストランに着くと、中はまるでクモの巣。そこら中にロープがあり、みんなそれにつかまって歩いていた。なるほど、こう使うのか。テーブルや椅子の下にもフックがあり、今はロープを掛けて床に固定してある。最初の二日間に食事をしたときは、どれも普通に置かれていた。やはり波は相当ひどかったらしい。食事中も船は揺れ続け、ときどき厨房から大量の食器がぶつかる音がした。割れていないことを祈るしかない。

どうにか朝食を食べ切り、生きて部屋へ戻った。そして最初にすることは、もちろんまた横になること。船酔いはゲームのゲージみたいだった。外へ出て活動すると酔いゲージが増え、横になると減る。100%までたまると一気に減少する。つまり、吐く。

昼になると波はさらに小さくなり、活動できる時間も範囲も広がった。午後にはほぼ波がなくなり、すでに南極海域へ到達していた。この辺りでいちばん穏やかな海が南極海域だなんて、まったく想像していなかった。

あとで知ったのだが、船にはほとんど船酔いしない猛者が何人もいた。前日、波がいちばん激しいときにも外へ出ていて、ラウンジでこの写真を撮っていた。

この揺れ、船内のグランドピアノまで吹っ飛ばしている。というか、こういうものは床に固定しておくべきでは? 本当に『海の上のピアニスト』を再現して、好き勝手に滑らせていたのだろうか。それとも実は固定されていたのに、それでも飛ばされたのか。

僕たちの全行程はこうなっていた。

僕にはどの場所もだいたい同じに見え、正直どう区別すればいいのか分からないので、ここでは全部まとめて書くことにした。それに、図にある「ホエールウォッチング地点」も海上の固定地点ではない。いつ出会えるかはクジラ次第で、会えた場所がそのときの観察地点になる。

僕たちは船で生活していたが、南極へ行くには上陸作戦が必要だった。上陸作戦というのも、そこまで大げさではない。使った上陸艇はこれ。Zodiac(ゾディアック)のゴムボートだ。

上陸時、大きな船は沖に止まり、側面のドアを開ける。そこから直接 Zodiac に降りる。岸辺(そもそも岸辺と呼んでいいのか?)には桟橋など何もなく、完全に天然の海岸だ。まずスタッフが先に向かい、足を置けるプラスチック製の階段など、簡単な仮設設備を作る。そのあと僕たちが Zodiac で岸へ行き、階段を使って浅瀬に足を下ろし、そこから陸へ上がる。本当に上陸作戦そのものだった。

南極では、船を走らせて景色がよさそうな場所を見つけたら、そのまま自由に上陸できるわけではない。多くの南極探検クルーズは IAATO(国際南極旅行業協会)に加盟し、船同士で上陸地点と時間を事前に調整して、同じ場所に集中しないようにしている。一般的には、一つの上陸地点で同時に上陸する船は一隻だけで、陸上にいられる観光客は最大100人。乗客が二百人、三百人いる船なら、何組かに分かれなければならない。一組が陸上で活動している間、別の組は Zodiac でクルーズし、そのあと交代するのがよくある方法だ。

さらに、上陸地点ごとに細かい決まりがある。一日に一、二隻しか受け入れない場所もあれば、滞在時間が制限される場所もある。ペンギン、アザラシ、植生を守るため立入禁止になっている区域もあり、歴史遺産では一度に入れる人数が決められていることもある。乗客500人を超える船は乗客を上陸させることができず、クルーズのみとなる。

こうした予約や調整は、基本的に船会社と探検チームが裏で済ませるので、普通の乗客にはほとんど見えない。僕たちの船では、毎晩マイケル・ジャクソンが翌日の予定地を説明してくれた。ただし、南極の天候と海氷はすぐ変わるので、予約済みでも急に中止になったり、別の上陸地点へ変わったりする。簡単にまとめると、南極上陸は、事前に時間を決め、一地点に一隻、陸上は最大100人、さらに各地点独自の決まりが加わる仕組みだった。

上陸するときは、長い防水ブーツを履き、普段のズボンの上に防水パンツを重ね、ダウンジャケットを着て、さらに救命胴衣を装着する。まさに完全装備だ。南極では生態系の管理も非常に厳しく、ある上陸地点の生物や病原体を別の地点へ持ち込まないよう、特に靴、衣服、装備を通じた拡散を防いでいた。

つまり、ある上陸地点で防水ブーツが何かを踏んだら――いちばん多いのはペンギンのフン――船へ戻る前に必ずきれいに洗わなければならず、洗わなければ乗せてもらえない。もちろんスタッフが手伝ってくれる。靴以外の衣服や装備も、土や生物の残りが付かないようにし、付いた場合は帰船後に清掃する必要がある。そのため船から貸し出されたトレッキングポールも、地面に突いた以上、戻るときにきれいに洗わなければならなかった。

僕たちの探検チームは、さすがプロだけあって、ルールをかなり厳格に守っていた。ただ旅の途中、ルールを守らず勝手に上陸しているように見える船にも出会った。ガイドいわく、「この地点は僕たちが予約していて、同じ時間に別の船が入る話は聞いていない。だから、あの船はたぶん取り決めに違反している」とのこと。環境保護はみんなの責任ということで、僕たちはその船を通報した。

最初の上陸地点では、大量のアザラシを見た。少しオオカミの群れっぽいところがある。普段は地面に寝そべり、だらだら気持ちよさそうにしているのに、一頭が鳴き始めると、何頭も一緒になって空へ向かって吠え始める。聞いた話では、群れのボスの座を争っているらしい。

その後の上陸地点では、大量のペンギンを次々に見るようになった。

南極で撮った最初の記念写真がこちら。

ペンギンがフンをするところを見れば分かるが、あれは噴射式だ。細長い白線が後ろへ飛び出し、優雅な(本当にその表現でいいのか?)放物線を描く。これで、巣の周りにある白い線がどうやってできたか分かっただろう。

ここでは、ペンギン同士が大げんかする最高の動画も撮れた。ただ、ここでは動画を載せにくいので、また今度ということで。

Zodiac に乗り、かなり近くからクジラも観察した。これは完全に運次第だ。まず遭遇できるかどうか自体が分からない。大きな船はクジラが現れた位置に合わせて航路を調整し、彼らがよく活動する海域へ向かう。そうした場所が自然とホエールウォッチング地点になる。それでも、どこまで近くで見られるかはやはり運だった。

僕たちはかなり運がよかった。小舟がクジラの進む方向に合わせてゆっくり動いていると、クジラがちょうど前方の Zodiac の横へ泳いでいき、その周りを回り始めた。

前の船は本当に運がいいな、と感心していたら、そのクジラが今度はこちらへ向かってきた。そして僕たちの小舟のすぐ横に浮上した。船べりから二メートルも離れていなかったと思う。ひれが水面から出て、手を伸ばせば届きそうな距離だった。

動画も撮ったが、中には同行者たちの歓声がずっと入っている。最後の写真はその動画から切り出したので、画質は少し悪い。

正直、ここまで近いホエールウォッチングは、よく考えると少し危なかったのでは? 相手は「ただの」ザトウクジラとはいえ、全長12メートルを超える。僕たちの小舟は長く見積もっても6メートル。その尾びれが一度うっかり動けば、こちらは簡単に吹っ飛びそうだ。まあ、たぶん、おそらく、今までそんな前例はなかったのだろう。

大きな船からはシャチも何度も見た。

ある上陸では、山にも登った。登っている最中は死ぬほど疲れたのに、あとで聞いたら標高は200メートルあまり。友達に話すと、第一声はみんな同じだった。「200メートルで山って呼べるの? それ、ただの大きな土の山では?」

普通ならその通り。でも南極では、普通ではない。

まず、山頂からの全景はこうだった。

山頂で記念撮影。

そして登山道はこうだった。

写真の通り、道などなく、雪の踏み跡が一本あるだけ。ここで登るなら完全装備が必要で、ダウンジャケット、タイツ、防寒パンツなど全部着なければ、凍えてしまう。そんな重装備だから、半袖短パンで歩く普段の登山より体力を何倍も使う。それだけでも大変なのに、この雪道はかなり歩きにくい。長い区間で雪の深さが30センチほどあり、一歩踏み込むたびに、足を引き抜くだけで力が要る。しかも足元に何があるか分からない。踏んだ先の雪の下に氷があれば、そのまま滑って転ぶ。登っている間はずっと警戒し、体幹に力を入れ、無事に歩けるようにしなければならなかった。

とにかく、山頂に着いたころにはもう限界だった。登り始めたときは、マイケル・ジャクソンの後ろに約50人の大集団がいた。山頂に着いた時点では、残っていたのは4人だけ。僕たちが写真を撮って下り始めるころ、後ろからほかの人たちも少しずつ到着した。序盤、ガイドの助言は「もう少しです、頑張って」だった。さらに後ろの区間では、「戻ったほうがいいです。時間に間に合わないかもしれません」に変わっていた。

南極の歴史的な遺構もいくつか見た。ガイドは面白い簡略版で説明してくれた。「1958年より前に残されたものは歴史遺産、1958年よりあとに残されたものはゴミ」。1957〜58年の国際地球観測年ごろを境に、南極での活動が大きく変化したからだという。初期探検時代の小屋、設備、物品などには歴史的価値があるかもしれない。一方、その後に科学基地が大量に作られてから生じた廃棄物は、「南極に残っている」というだけで自動的に遺産になるわけではなく、原則として環境保護のルールに従って片づけるべきものだ。

つまり南極では、ゴミをいつ捨てたかがとても重要。十分昔に捨てれば、ゴミもいつかお宝になる。

いくつかの遺構は、すでにペンギンに占領されていた。

まだペンギンの侵攻を受けていない遺構もあった。

どう考えても、この遺構は危険な建物では? ガイドは「中へ入って自由に見てもいい。でも崩れても責任は取りません」と冗談めかして言った。僕は入った。幸い、南極にはたぶんシロアリがいないし、地震もおそらく少ない。そうでなければ、この家はとっくに崩れていただろう。

船では、カヤックやポーラープランジといった極地アクティビティも用意されていた。

まずはカヤック。これは最高に面白そうだった。南極で、砕けた氷が浮かぶ水の中を二人乗りカヤックで進む。聞いただけでテンションが上がる。

この活動は天候の条件が非常に厳しい。何しろ南極は危険だ。ガイドによると、まず予定地まで行き、天候が許せば実施、駄目なら諦めるしかない。到着してみると、天気は最高。やるしかない!

予定地といっても、固定施設など何もなく、南極大陸沿岸の普通の海域だ。たぶん地形の関係で、昔から穏やかになる確率が高い場所なのだろう。この日は快晴で風もなく、カヤックにぴったりだった。スタッフが先に海へ出て、広い範囲をブイで囲み、「ここから外へ出ないでください」と説明したあと、僕たちも船を降りた。

僕たちのカヤックはこんな形だった。

実際に漕いで砕氷エリアへ入ると、こんな感じ。

記念撮影もした。

次はポーラープランジ。カヤックをした砕氷エリアの近くに、臨時の飛び込み場所を作った。実際には、大きな船の出入口に Zodiac を二隻並べ、その間に十平方メートルもないプラスチック板を、水面から約一メートル下に設置しただけだ。参加者は Zodiac の船首に立ち、思い切って海へ飛び込み、板まで泳いで立ち上がり、Zodiac へ戻って船内へ帰る。

これは泳げる人の場合。泳げない人は、そのまま勢いよくプラスチック板へ飛びついてもいい。全身が海水に入れば成功扱いになる。

聞くだけでも刺激的だ。案の定、参加するために追加で二枚の免責同意書へ署名した。もはや生死状みたいなものだ。この活動は高血圧や心臓病などとは明らかに相性が悪そうなのに、乗客140人あまりのうち、約70人が参加した。僕が見る限り、船内で僕と同じくらいの年齢の人は極端に少なく、一桁しかいなかったと思う。ほぼ全員が少なくとも10歳、場合によっては20歳以上年上で、白髪の人も大勢いた。この50代、60代の探検家たちは、本当に僕よりずっと強い。

海水温は約2℃。僕は水へ飛び込む瞬間がいちばんきついと思っていたが、実際は全然違った。水に入るのは一瞬で、戻るまで全部合わせても20秒ほど。我慢すれば終わる。最もつらいのは順番待ちだった。水着一枚で南極の冷たい風にさらされながら立って待つ。これ自体はまだよく、数分なら耐えられる。列の最初ではサンダルを履けるが、Zodiac のそばでは船内に置かなければならず、しかも前にはまだ何人かいる。足元にはタオルが敷かれているものの、氷水をたっぷり吸っていた。僕はその上に裸足で二分間立ち、足が凍って取れそうになった。

最終的に、無事飛び込み成功。残念ながら証拠写真はない。

船へ戻ると、先生がそばにいて、体をすぐ温めるための特製コーヒーを一人ずつ渡してくれた。結局、風邪もひかず、何事もなかった。

上陸先の景色だけでなく、船から見る風景も驚くほど美しかった。雲が晴れ、月が明るく、澄み切った空と海には何の飾りもいらない。これほど透き通った海と青空に、何が勝てるだろう。

景色だけでなく、船内生活もかなりすごかった。船は相当豪華だ。ラウンジのバーは毎日午後に開き、夜は無限に営業する。客がいる限り、ずっと開いている。しかも飲み物はすべて飲み放題。唯一残念だったのは、僕が目をつけていたノンアルコールドリンクがずっと品切れで、下船するまで補充されなかったことだ。見るからにおいしそうな飲み物は、やはり売り切れるのも早い。さらに船内にはサウナ、スパ、ガラス張りのパノラマジムまであった。設備が強すぎる。

やがて旅も終盤に入った。船はキングジョージ島へ戻った。そこには空港があり、飛行機でチリへ向かう予定だった。

そして当然のように、また問題が起きた。

ここの空港は非常に簡素で、普段イメージする民間空港とはまるで違う。滑走路も普通の舗装路には見えず、僕が見た限りでは全部砂利でできていた。ここで離着陸するのはかなり難しそうだ。施設は簡素で、南極の天気は急変する。そのためフライトには高い視程と適切な天候が必要で、晴れているか、少なくとも視界が一定以上確保できなければ運航できない。

ガイドによると、過去の経験では、一日に飛べる時間帯が数時間しかないこともあるらしい。だから最終日はずっと船で待機し、運航できると確定した時点で Zodiac に乗って空港へ向かう予定だった。

ところが、出発予定の日は一度も運航可能な時間帯がなく、飛べなかった。それだけでなく、その時点の観測では翌日も飛べない可能性があった。本来ならそのまま待つところだが、当面は確実に無理だと分かったので、船長がもう一度上陸することを決めた。おかげで、追加の上陸機会が手に入った。

そして、さらにたくさんのペンギンを見た。

よく見ると、これらの写真はそれまでのものと大きく違う。以前の写真は全部、晴天だった。そう、ここ数日、南極では船上でも上陸中でもずっと快晴で、天気は最高だった。運がよかったのか悪かったのか分からない。活動するには間違いなく非常に便利だったが、まったく南極らしくない。

今日は違う。完全な吹雪だ。寒く、体感温度はそれまでよりずっと低い。冷たい風が骨まで刺さり、南極の厳しさを本当に感じた。

船の多くの人も同じことを言っていた。「これこそ南極だ」。それまでの晴天で、南極は穏やかな場所なのだという現実離れした幻想を抱いていたらしい。

船へ戻ると、みんなさらに満足していた。これで南極の吹雪まで体験した。南極旅行は完全にやり切った感じだ。

その夜、ガイドが「明日の朝は、おそらく飛べます。とりあえず寝てください。飛べるようなら起こします」と言った。

翌朝4時、僕たちは叩き起こされた。急いで朝食を食べ、Zodiac でキングジョージ島へ向かい、上陸作戦をして、空港へ行き、飛行機を待った。

前にも書いた通り、ここを空港と呼ぶのは少し難しい。周囲には一応「建物」と呼べるものがあり、飛行機が着陸する直前まで中で待った。そして、この場所は清掃が非常に大変だと説明された。環境保護のため、必要がなければトイレは使わないでください。中身はチリまで持っていってください、と。

そのあとバスで搭乗地点の近くまで運ばれ、待合所で飛行機を待った。待合所といっても、プラスチック製の大きなテントが二つあるだけ。外では冷たい風がうなり、テントの中までゴーゴーという音が聞こえた。そしてここまで来ると、トイレという概念そのものが消滅していた。

それでも飛行機は無事に来た。一機は白黒の塗装で、ガイドから「ペンギン飛行機」と呼ばれていた。その飛行機が離陸すると、周りの人たちが大騒ぎして「ペンギンが飛んだ!」と叫んだ。こうやって自分たちで盛り上がる理由を作るのも、昔から変わらない伝統らしい。

僕たちは二便目の飛行機に乗り、チリへ向かった。

これで、南極への旅は正式に終了した。